緬羊書評協会

読んだ小説の感想、思い出、時々書評

『緬羊書評協会』について

 小説、特にSF作品の感想、思い出、書評を投稿します。基調テーマは小説の感想ですが、筆が乗らないと思い出語りに逃げ筆が乗ればしかつめらしく「書評」と銘打った文章を投稿します。

 時々何が言いたいのかわからない文章を投稿するかもしれませんが、それこそまさに「面妖」書評だと思って許してくだされば幸い。当面の目標は小川一水「天冥の標」シリーズの全巻を扱うことです。

一億総留年への道? ──冬眠で危機をやり過ごす系SF4選

 

「2020年はキャンパスへの入講禁止や味気ないオンライン授業、課外活動の制限のせいでキャンパスライフを満喫出来なかった。だから、今年は無かったことにして、コロナ禍が収束してからもう一度同じ学年をやり直そう──

 

一部の大学生の間で冗談半分に囁かれている「一億総留年論」です。ふざけた考えだと思われるかもしれませんが、中学高校で対面授業が行われているのに依然として多くの大学生がオンライン授業を強いられていることを考えれば、その心も分からないでもありません。

とはいえSFオタクとしては、「危機の一年間を何もしないことでやり過ごす」という考えは人工冬眠みたいで面白く感じるわけです。というわけで今回は、「一億総冬眠で危機をやり過ごす」系のSFを、最近読んだ作品を中心に4つほど紹介していきたいと思います。

 

仮想世界で大騒ぎー「アメリカン・ブッダ

2020年に出た柴田勝家の短編集。表題作は感染症の拡大やら治安の悪化やらで崩壊した未来のアメリカが舞台。災厄をやり過ごすために国民を仮想世界へと移住させる計画を大企業がぶち上げ、アメリカ国民のほとんどは人工冬眠についた。荒廃した国土をドローンが地道に修復するのを待つ間、彼らの意識は仮想国家「Mアメリカ」の中で繁栄を謳歌していた。そんなある日、現実世界から仏教に帰依したネイティブアメリカンがMアメリカを訪れる…というお話。
ツイッターであらすじを見て、人工冬眠と仮想世界への移住の組み合わせが後述の「守るべき肌」と似ていたので気になって手に取った一冊。表題作以外の短編もおもしろく、人骨やら異端信仰の神体やらが壁から出てくる「邪義の壁」や、時間を逆行して記憶を形作る素粒子が登場する「鏡石異譚」などが好みでした。

 

 

アメリカン・ブッダ (ハヤカワ文庫JA)

アメリカン・ブッダ (ハヤカワ文庫JA)

 

 


現実からの逃避?ー「守るべき肌」

2011年の小川一水の短編集「青い星まで飛んでいけ」所蔵。「大転算」によって人類が計算機の中で生きる存在になった世界に突如現れた少女ツルギをめぐる物語。こちらでは人類は物理的実体を失い、計算機の中で走るプログラムと化している。しかし、計算機の中の世界「ステインレス」は老いや死がなかったり、自分の外見や住環境を自由に変えられたりとかなり彩り豊か。そんな中、ツルギは現実世界の地球に迫る危機をステインレスの住民に訴えるが...
アメリカン・ブッダ」では人類は現実世界に戻りますが、「守るべき肌」では現実世界を捨てて仮想現実の中で生きることを選びます。荒唐無稽な選択にも思えますが、実際、リア友よりもツイッターのフォロワーの方が仲がいいという人や、宝くじよりもソシャゲのガチャに熱中したりする人もいます。仮想現実に生きる者にとっては、仮想現実こそが守るべきものになることもあるのです。

 

青い星まで飛んでいけ (ハヤカワ文庫JA)

青い星まで飛んでいけ (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:小川 一水
  • 発売日: 2011/03/10
  • メディア: 文庫
 

 

表題作「青い星まで飛んでいけ」については過去に記事を書いていますのでよろしければどうぞ。

 

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頼りになりすぎる守り人ー「天冥の標 partⅩ」

同じ作者つながりで、2018年に出た小川一水の長編小説「天冥の標」の10パート目より。この巻の「黄昏の眠り」は、わずか800人にまで数を減らした人類が、生活の行き詰まりから人工冬眠を決断するに至るまでの物語です。「人類全体が眠りにつけば復興を成し遂げる者がいなくなり、結局何の解決にもならない」という人工冬眠のデメリットが明示されているのが特徴。

 本作では人類が冬眠している間、限界適応型AIのベッチーナが巨大艦隊を仕立て上げて、復興への糸口を作り出しました。「アメリカン・ブッダ」のドローンたちやネイティブアメリカンたちもそうですが、人類が寝ている間にも現実世界の面倒を見てくれる存在、つまり「守り人」が人工冬眠には必要だと考えさせられます。では、「守り人」がいない人工冬眠はどうなるのか。その末路を示したのが最後に紹介するショートショートです。

 

 

天冥の標X 青葉よ、豊かなれ PART1 (ハヤカワ文庫JA)
 

 

 

ある人工冬眠の末路ー「最後の事業」

星新一ショートショートで、1960年代の作品です。社会の喧騒に嫌気がさして、静寂を求めて科学者に伺いを立てる資産家たち。彼らが最後に選んだ手段は、人工冬眠だった。冬眠は大流行し、人類は人工冬眠会社の下っ端社員一人を残し全員が冬眠状態に入る。口うるさい上司もいない一人だけの会社勤めを楽しむ下っ端社員。しかし宇宙人の訪れとともに彼の平安な暮らしは破られる。「我々に侵略の意図はない。食料を探しているのだ。」と訴える宇宙人。しかし社員は宇宙人の言葉が分からないし、頼れる上司たちは冬眠しているしでパニックに陥る。「冷凍食料はないだろうか?」と勢い込んで尋ねる宇宙人を前に、「上司に聞いてくれ」という意味で彼は冬眠室を指し示してしまうのだった。
本作の人工冬眠は「危機をやり過ごすための人工冬眠」ではないですが、頼れる「守り人」がいない人工冬眠の結末をブラックに示した一作です。「2001年宇宙の旅」でも人工冬眠中に殺される乗組員が登場しますが、冬眠中のリスクへの対処を怠るとどうなるかが良く示されています。

 

 

 

 

 

最後に

 人工冬眠を扱った作品を見てきましたが、なんだかんだで人工冬眠にはコストもかかるし、冬眠中に危害を加えられるリスクもあります。留年をするにしてもそれは同様なわけで、空白の一年の分の生活費も余計にかかるし、社会からの冷たい視線に晒されるリスクもあるわけです。コロナ禍の時代に冬眠したくなる気持ちは分かりますが、制限の中でも活動をやめずに、できることを模索するのが上策なのかもしれませんね。

 

 

 

小川一水『天冥の標Ⅰメニー・メニー・シープ』-ホメロスと刑事ドラマ

あらすじ

 西暦2803年、系外惑星ハーブC上に建設された植民地「メニー・メニー・シープ」では開闢300周年を前に臨時総督の圧政への不満が高まっていた。度重なる配電制限や窒素統制に耐えかね、植民地議会議員エランカや町医者のカドムらはついに反乱を決意する。コイルガンを操る改造人類「海の一統」や、謎めいたアンドロイド集団「恋人たち」と協力しながら臨時総督の打倒を目指すが、彼ら彼女らの反乱は植民地を思いもしない運命へと巻き込んでいく…

 300年の間隠されてきた「メニー・メニー・シープ」の秘密とは、そして植民地に現れる「救世群」と呼ばれる怪物の正体とは。多くの謎を巻き起こしながら、全10巻にわたるシリーズの幕が開ける。

 

解説1:in medias res

 謎にまみれた一作目である。なぜ羊の体内に機械が埋め込まれているのか、なぜ「拡散時代」の戦艦が植民地の地下に埋まっているのか、植民地の果てで奇妙な作業を行う巨大機械たちは何なのか。さらに登場する人物も素性が知れない者が多い。シェパード号の制御人格と噂される「ダダー」とは何者か、「救世群」とは何なのか。読了時には多くの謎と伏線に混乱させられた方も多いだろう。

  そもそも本作で描かれる出来事がシリーズ全体の時間軸の中でどのあたりに位置するかというと、最終盤の1,2年くらいである。時間ベースでみれば9割9分話が終わった時点の出来事を最初に読まされるのだから、初読時にイマイチぴんと来ないのも当然だ。

 

 わざと最初から物語を語り始めないこの手法は、かのホメロスも使った由緒正しいものである。ホメロスの「イーリアス」はトロイア戦争を描いているが、10年以上に渡る戦争があと50日で終わるというタイミングからストーリーが始まる。こうした手法をホラティウスは『詩論』の中で「in medias res(ラテン語で「物事の途中へ」の意)」と表現した。訳の通り、物語を冒頭から順繰りに語るのではなく、途中から語り始めるという手法である。「in medias res」には、まどろっこしい背景説明や導入をすっ飛ばして物語の中核部分を最初に持ってくることで読者をひきつける効果がある、とされる。

 卑近な例でいえば、刑事ドラマをイメージしてもらえばいいと思う。大抵の刑事ドラマは事件発生(大抵は殺人事件だが)のシーンから始まり、事件発生までの経緯は主人公の刑事らが捜査を進めるにつれて後から語られる。何にしても、事件は冒頭に起こる。そこに至るまでどんなに長い過程があったとしても、最初に来るのはドラマの中核である事件発生シーンなのだ。実際の時間軸に忠実に、開始後数十分経ってから事件が起こるような刑事ドラマというのはちょっと考えにくい。

  話を戻すと、本作で描かれる植民地臨時総督への反乱及びその後の混乱という事件が起こるまでにも、人類全体に関わる長い長い経緯がある。敢えてそれらの経緯の説明を後回しにして「メニー・メニー・シープ」を冒頭に持ってくることで、冒頭に示された謎が過去をなぞっていくにつれて明らかにされていく刑事ドラマ的な面白さが生まれていると言えるだろう。

 

解説2:今後の展開

 前述の通り、物語の中核となる「メニー・メニー・シープ」が終わると、第二巻からは「in medias res」の文法通りに「過去編」が始まる。人類が新世界ハーブCに到達するまでの歴史が、文庫本8冊というスケールで説明されるのだ。さすがに飽きが来ると思うかもしれないが、この過去編は実に理路整然とした構造をしているのでその心配はない。

 本作を読了された方は、ラストにこのような一節があったのを覚えておられると思う。

 

かつて六つの勢力があった。

それらは「医師団」「宇宙軍」「恋人」「亡霊」「石工」「議会」からなり、「救世群」に抗した。(中略)時は流れ、植民地が始まった━。

 

 

この一節に従って、

第二巻「救世群」では冥王斑患者群と非感染者との橋渡しをする「連絡医師団」、

第三巻「アウレーリア一統」では遺伝子改造で酸素いらずの体になった「海の一統」、

第四巻「機械仕掛けの子息たち」ではアンドロイドの芸能民である「恋人たち」、

第五巻「羊と猿と百掬の銀河」ではシェパード号の制御人格と言われる謎の存在「亡霊」、

第六巻「宿怨」では共意識を持つ異星人「石工」、

第七巻「新世界ハーブC」ではかつての自治政府の残骸「議会」

 

…というように、各勢力の由来が「メニー・メニー・シープ」以前の人類史と並行して順繰りに語られる。そして第八巻「ジャイアント・アーク」で第一巻では謎めいた存在だったイサリの視点から見た「メニー・メニー・シープ」が描かれてめでたく物語は一周する。

 

最後に

 初読時には何が何だか分からず、特に結末については「どういうことか説明してくれ!」という気分になると思う。だが、それこそ作者が意図した結果であり、混乱しながらも第二巻「救世群」に手を伸ばしたならば、もうあなたは古のホメロスから連綿と続く物語の技術にからめ取られているのだ。シリーズを読み進めるにつれて「メニー・メニー・シープ」での事件に至るまでの因縁が徐々に解き明かされていく刑事ドラマ的快感を是非とも味わってほしい。

  

 

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乙一(荒木飛呂彦原作)『The Book』-爆弾でなくても人は殺せる

 

「作家は【感情移入】で人を殺す」

 

あらすじ:ジョジョ×乙一

 ジョジョの奇妙な冒険第四部「ダイヤモンドは砕けない」の後日談を描く乙一氏の渾身の一作。乙一作品によくあるように、本作もまた複数のストーリーを同時に追う構成になっています。一つ目は第四部の登場人物たちが血塗れの猫をきっかけに殺人犯を追っていくパート。二つ目は犯人側のパートで、本作オリジナルキャラである犯人の素性や能力が次第に明かされていきます。犯人とそれを追う主人公を並行して描くのは、「GOTH」や「暗黒童話」「ワンダーランド((『箱庭図書館』収録」でも見られる乙一作品の典型ともいえる手法ですが、今回は三つ目の、オリジナルキャラ「飛田明里」の、ビルの挟間での数か月以上に渡る壮絶な生活を描くパートが描かれます。果たしてこの3つのパートがどのように絡みあっていくのか、被害者を屋内で交通事故に遭わせた犯人の能力の正体とは何なのか、最後の最後まで息をつかせない展開が続きます。

 

解説:スタンドの使い方

 本作で特筆すべきは「スタンド」の扱いのうまさです。「ジョジョの奇妙な冒険」で第三部から登場した「スタンド」は、登場人物が守護霊のような存在を持ち、それらが持つ特殊能力を使って戦うという設定です。敵味方の「スタンド使い」たちが互いの能力を駆使して戦うスタンドバトルが本編の醍醐味の一つでもありますが、本作のスタンドは

 

 いきなりでもうしわけないが、背後霊とか守護霊とかそういう類いのものがボクたちには取り憑いていた。(p75)

 

というつつましい紹介がされ、スタンドバトルもクライマックスまで起こらず、過度に存在を主張しません。二次創作、ノベライズをする際、この手の魅力的な設定を自由に使えるとなると、その便利さゆえについつい濫用してしまうのが人の性ですが、うまく設定の手綱をとって使いこなしているのはさすが乙一、といったところです。

 もちろん第四部で登場したスタンドが活躍する場面はありますが、どちらかと言えば重点が置かれるのは犯人のスタンドの全貌を解き明かしていくプロセスです。漫画では絵面が映えるスタンドバトル中心、ノベライズではスタンドが発現した経緯や能力に気づくまでのプロセスが中心、というように描く内容の面でうまく住み分けがされています。また犯人のスタンドの特性も小説という媒体ならではのもので、ある種メタフィクション的な面白みがあります。総じて言えば、ノベライズが陥りがちな「原作の文字起こし」という落とし穴を軽々と飛び越えて、「小説でなければ出来ないジョジョ」を実現させた作品と言えるでしょう。

 

結び:読めばよかろうなのだ

 基本的に原作を読んでいなくても十分楽しめる本作ですが、ジョジョを履修しておくとニヤリとできる箇所も散りばめられており原作のファンも十分楽しめます(私がそうでした)吉良吉影が勤めていたカメユーデパートも登場しますし、ディオ・ブランド―のあの名言のパロディもあります。ストーリーも原作の要素をふんだんに盛り込んだ上でよく練られており、例を挙げれば、物語の舞台になる杜王町は「ベッドタウンとして急速に発展した」と原作でさらりと紹介されていますが、この設定が本作では飛田明里がビルの挟間に落とされることにも関わる重要な背景として生かされており、余すところなく原作の設定を使い切っている感があります。                

 また登場人物の面では、本編ではあと一歩で敵に出し抜かれて勝利を逃したり、東方仗助スタンド能力を逆手に取られて撃退されたりと戦闘ではあまり良いところが無かった虹村億泰が、終盤で中々の活躍を見せます。スタンド「ザ・ハンド」が底知れない能力を持った不気味なスタンドとして描かれ、また本体も相手の裏をかく戦い方をするなど、猪突猛進型だった本編の頃から一皮むけた億泰を見ることができます。

 純粋なミステリー小説としても、またジョジョのノベライズとしても非常に面白い作品なので、原作ファンであるかどうかにかかわらず読んでみることをお勧めします。

 

 

 

その他記事で言及した乙一作品

 

GOTH (角川コミックス・エース)

GOTH (角川コミックス・エース)

 

 

暗黒童話 (集英社文庫)

暗黒童話 (集英社文庫)

  • 作者:乙一
  • 発売日: 2004/05/20
  • メディア: 文庫
 

 

箱庭図書館 (集英社文庫)

箱庭図書館 (集英社文庫)

  • 作者:乙一
  • 発売日: 2013/11/20
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 

早瀬耕『プラネタリウムの外側』「忘却のワクチン」‐記録を消せば記憶も消える?

はじめに:デジタルタトゥーとは

 インターネット上に拡散した情報は消すことは出来ないのは、今日ではほぼ常識とされている事実です。リベンジポルノや、Twitterでの炎上事件が後を絶たないのも、ひとたびアップロードされたデータが、たとえ投稿者が削除要請を出しても完全には消えずに残ることが原因の一つであるとされています。

 このように、ウェブ上に一度提供した情報は消去することが難しく、半永久的にデジタルデータとして残り続けることを入れ墨に例えて表現したのが「デジタルタトゥー」という造語です。現実ではデジタルタトゥーの消去は不可能とされていますが、フィクションの中にはそれが可能だと主張する作品もあります。そこで、本稿ではそんな作品の一つである早瀬耕の短編「忘却のワクチン」で紹介されるデジタルタトゥーを消す手法について考えていきます。

  

あらすじ:「忘却のワクチン」

 主人公はネット上に自身のポルノ画像が拡散されて心に傷を負った元恋人「高橋香織」を救うため、友人に件の画像データを消すことが出来ないか相談します。友人は指導教官の南雲薫の手を借りて消去方法を見出しますが、その方法を実行することには主人公と高橋香織との思い出までも消してしまうという副作用があった....というのが大まかなあらすじです。

 今回話題にする消去方法については、以下のように作中で説明されています。なお、便宜上この方法を以降は「忘却のワクチン」と呼びます。

 

 

インターネットから「高橋香織」の画像データをできるかぎり収集して、顔認証データを作成する。本物のウイルスにはカプシドと呼ばれるウイルス核酸を覆う物質がある。

 コンパイル済みのコンピュータ・ウイルスのビット配列にカプシドのように「高橋香織」の顔認証データを埋め込む(中略)感染したデバイスのアドレス帳、メールボックスに「高橋香織」と関係するメールアドレスがある場合だけ、そのデバイスを次の感染元とする。

(中略)

 早ければ一週間もしないうちにウイルス除去プログラムが、南雲の作ったウイルスを除去対象に登録する。そして、アンチ・ウイルス・ソフトウェアは「高橋香織」というカプシドと「高橋香織」の画像データを判別できないはずだ。ファイル・サイズの差異は亜種ウイルスとして判断され、ターゲットの画像データは、アンチ・ウイルス・ソフトウェアの定期更新によって駆除されていく。*1

 

 

 ウイルス対策ソフトは「ウイルスの見本市」のような「パターンファイル」と呼ばれる代物を持っています。パターンファイルに格納されたウイルスの類型と当てはまるデータがあれば、それをウイルスと判断して排除するわけです。「忘却のワクチン」はまず削除したいデータを組み込んだウイルスを拡散させて、パターンファイルに削除したいデータを取り込ませます。そうすれば、後はウイルス対策ソフトがターゲットのデータをウイルスとみなして削除していってくれる。これが「忘却のワクチン」の大まかな働きです。

 

解説:忘却の作用機序

 作中でも言及されるように、このプログラムのアイデアの背景には「人間が情報機器に記録された記録を重視し、自身の記憶を軽視する」という近年の社会の傾向があります。観光地に行った時、外食をする時にまずはスマホで写真を撮る人々の姿がその一例でしょう。現代人の多くは「自分がどこそこに行った」「自分が何を食べた」と記憶することよりも、行った場所や料理の写真がスマホの中にデータとして記録されることを優先しがちです。

 このような「記憶軽視、記録偏重」の傾向が重症化すると、記憶になくても記録にはあるものを人は真実だと信じるようになることもあり得ます。スマホをいじりながら眠ってしまった翌朝、身に覚えのないサイトをブラウザの閲覧履歴に見つけたとしましょう。おそらくほとんどの人は自分が寝ぼけてサイトを閲覧したと思うでしょうが、本当にそうと言い切れるでしょうか?もしもそのサイトで、クレジットカード情報も入力された上で高額商品の購入が行われていたとしても、あなたは「寝ぼけていた」と言い切れますか?かといって、履歴の方が間違っていると考えられるでしょうか?

 こうした記録偏重思考の根底にあるのは「記録は絶対」という記録のデータ完全性への過信、そして曖昧な人間の記憶への不信です。「忘却のワクチン」は、こうした現代人の思考の陥穽を鋭く突いています。消えるはずがない動かぬ証拠である画像データを消すことで、記憶の方が誤っている、勘違いしたのだと信じ込ませ、忘れさせる。それが「忘却のワクチン」の最終目的です。いわば、当該データありきのデジタルタトゥーの弱点を突いた設計理念と言えるでしょう。

 もちろんフィクションの中での設定ですから、以上のような南雲薫の構想に現実離れした点があることは否めません。しかし「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったもので、コロナ禍の下ではこの設定は必ずしもナンセンスとは言い切れなくなりつつあります。

 

結び:オンライン教育の下で

 2020年現在、多くの大学で講義が全面的にオンライン化されています。大学生の間では、授業への出席を毎回課されるレポート、あるいはインターネット上の学務システムの出席確認機能でとるのが日常となりつつあります。また、講義内容は動画、音声の形で学務システム上にアップロードされていることが多いようです。仮に定期試験の後で生徒が「こんな内容は授業で扱っていなかった」とクレームを入れても、授業記録を参照すれば白黒はっきりつけられるわけです。あるいはちょっと教授がうっかりしていれば、ワンタイムパスワードで出席確認を行った後すぐにZoomの部屋を退出しても、「出席」という扱いになってしまう。このような現状こそまさに「記録偏重」といえるのではないでしょうか?

 もっともこうした変化はコロナ禍以前から見られたもので、昨日今日に始まったことではありません。しかし、コロナ禍が「記録偏重」社会への変化を着々と加速させつつあるのは紛れもない事実です。「忘却のワクチン」が実際に機能するようになる日もそう遠くはないのかもしれません。

 

 

 

プラネタリウムの外側 (ハヤカワ文庫JA)

プラネタリウムの外側 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

 

 

*1:早瀬耕. プラネタリウムの外側. ハヤカワ文庫. 2018. 220-221

山尾悠子『飛ぶ孔雀』-筋を追わない小説

あらすじ:あらすじが書けない

 「火が燃え難くなった世界」での人々の群像劇。前半部分「飛ぶ孔雀」では庭園で二人の少女が孔雀に追われながら火を運ぶ儀式が、後半部分「不燃性について」では火が燃え難くなる原因になった事故が起こったという「山」へと登場人物たちが移動していきます。

 

解説:繰り返されるモチーフ

 むりやりあらすじをまとめると以上のようになりますが、これでは到底本作を説明することができているとは言い難く、むしろあらすじに書くことが不可能な要素こそがメインであると思います。このように、普通の小説が備えているような「筋」が無い点が本作の最大の特徴です。様々な登場人物たちの行動が章ごとにばらばらにされて、時々思い出したようにつながりながらも、全体像がはっきりすることがないまま描かれていきます。おそらく厳密に分析すれば、各章のつながりを徹底的に洗って筋のようなものを描き出すことができるのでしょうが、それはもはや「考察」の域に入ってしまいますし、私は本作に限っては考察はしないほうが良いと思います。

 本作が考察意欲を刺激するのは、各章ごとに、思わせぶりかつ微妙なつながりが存在するからです。成長していく石、「岩風呂」、山の決まった場所に落ちるという雷、「骨」というイメージ、こうした要素が繰り返し登場し、そして全編を「火が燃え難い」という設定が元締めのように束ねます。また繰り返されるのは設定だけでなく登場人物たちでも同様です。変装しながらQの前に何度も姿を現すHや、タロットのようなカードを操る謎の集団を始め、最後の最後で再登場を果たす二人の女性など、名前がついていない者も含めれば登場人物はかなりの数に上るはずですが、恐らく一度しか登場しない人物はほとんどいないのではないでしょうか。

 何を言っているかははっきりとは分からないけど、どこかで見た気がする要素が繰り返し登場するからなんとなく話が繋がっているような感覚に陥り、先へ先へと読み進めることができてしまう。「飛ぶ孔雀」はそんな小説です。また同じ設定、人物の描写が繰り返されるといっても読者に飽きを感じさせず、再登場時に懐かしさを感じさせるような絶妙な間が取られているので読んでいて苦痛にはなりません。

 本作は筋よりも幻想的なその世界観が主な作品であると私は考えているのですが、その世界観を「小説」という形で表現するために、あるいは小説としての体裁を整えるために作者は前述のような「絶妙な間で繰り返されるモチーフ」を取り入れたのではないでしょうか。逆にこの繰り返されるモチーフが無ければ、読者が本作を読み進めることは非常に困難になっていたでしょう。人は何かと筋を持った「物語」を求めてしまう生き物ですから。

 つまり本作は「筋」を見出そうと考察まがいのことをしながら読むのではなく、繰り返されるモチーフに助けられつつ小説の中の幻想世界を感じながら読み進めるのが理想なのではないでしょうか。もちろん小説の読み方に絶対的な正解があるわけではありませんが、本作に限ってはいたずらに筋を追わないのが賢明なのではないかと思いました。

 

最後に:「鴨が好き」

 本作の特徴として「繰り返されるモチーフ」を挙げましたが、以前似たような映像作品を見たことがあったのでこの場を借りて紹介させていただきます。

 


鴨が好き/ I like ducks

  キューライス(Q rais)氏の2017年の作品「鴨が好き」です。この作品もまたあらすじを書こうとしても、「中年男性が散歩がてら公園に鴨の餌やりに行く」としか書けず、それでいてあらすじだけでは表すことのできない何かを含んでいる不思議な作品です。

 顔が赤く染まった髪の長い存在、赤い服のカップル、Yが好きな謎の監視人、黒い顔のボブカットの女性など、この作品もまた「飛ぶ孔雀」と同様に多くの繰り返されるモチーフを含んでいます。コメント欄には各々が考えた様々な考察が並んでおり、そういった考察に目を通すのもそれはそれで楽しくはあるのですが、あえて筋を追わずに、繰り返すモチーフに心地よく身を任せてキューライス氏の世界を感じるというのも、この動画の一つの楽しみ方ではないか、と思う次第です。

 

 

飛ぶ孔雀

飛ぶ孔雀

  • 作者:山尾悠子
  • 発売日: 2018/05/10
  • メディア: 単行本
 

 

筒井康隆『旅のラゴス』-学問の復興

あらすじ:オデュッセイア

 物語は旅の途中から始まり、背景説明がないまま短編形式で淡々とラゴスの旅が続き、中盤の章「王国への道」でようやく旅の目的が明らかになる。くだくだしい状況説明を省いて読者をいきなり物語の核心に引っ張り込む「in medias res」と言われる手法のお手本のような小説で、自然にラゴスの旅に没入することができる。

 ラゴスが旅をする世界は人類がかつて故郷の星の汚染から逃れて漂着した世界であり、宇宙船や写真機などの高度な技術が失われ、それらの記憶も薄れかけているポストアポカリプスの世界である。技術と科学を失った人類はその代りに、異星で生き抜くためにそれぞれに大小の超能力を身に着けるようになった。その能力は時にテレポート能力であったり、テレパシーであったり、未来予知であったりし、各章の物語はこれらを中心に展開していく。もしかすると、「七瀬ふたたび」を短編形式に仕立て直すと「旅のラゴス」が出来上がるのかもしれない。

 

解説:「おれ」から「わたし」へ

 前述したように、中盤の章「王国への道」でラゴスが旅をする理由が、まだ技術を保っていた頃の人類が未来のために保存した書物群を解読することにあったことが分かる。先祖から受け継いだ書物を守り伝える村でラゴスは遺された書物を貪るように読み、失われた学問体系を吸収していく。先祖の日記と実用書から初めて、歴史と伝記、政治経済、社会科学、小説、医学史と科学史、そして法理論の順に15年に渡ってひたすら読み続けたラゴス。かれは吸収すべき知識の多さに押し潰されたり、内容の難解さに音を上げたりすることなく、ただ知識を吸収していく愉悦のみを語る。うらやましいとしか言いようがない。これほどまでに生き生きと、書物から学ぶことができる人間がいるだろうか。

  ラゴスはただやみくもに読み進めるのではなく、先に挙げたような体系的な順番で書物を読破していく。書物を読むということは先人が辿った知の道筋を辿ることであり、その意味で読書は学問の再生だとも言える。理想的な読み手であるラゴスの手によって失われた学問が再生されていく様子は爽快である。

  またこの章は物語の大きな転換点にもなっている。前半ではラゴスの一人称は筒井作品によくみられるように「おれ」なのだが、「王国への道」の途中、ラゴスに子供が生まれるのと前後して「わたし」へと変化する。また南へ南へと進んできたラゴスの旅もこの章を折り返し地点にして北の故郷へと帰る旅へと変化する。「王国への道」とそこで描かれる「学問の再生」は「旅のラゴス」の真ん中に打ち込まれた重要なくさびであると言える。

 

最後に:課題図書?大人向け?

 「パプリカ」のような清々しいおどろおどろしさや、「魚籃観音記」「偽魔王」のようなエログロ要素がない本作は、所謂「安心して課題図書にできる」本なのだろう。その意味では、「時をかける少女」や三島由紀夫の「潮騒」とも似たような系列の、小中学生にも勧めやすい筒井作品だ。かといって、作家の牙が抜かれて大人しくなった作品というわけでは全然なく、「旅」そして「学問の再生」という芯がきっちりと通っている。小中学生ではなく「筒井作品はエログロばかりでけしからん」とのたまうような大人にこそ勧めるべき作品なのかもしれない。

 

 

旅のラゴス(新潮文庫)

旅のラゴス(新潮文庫)

 

 

 

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小川一水『天冥の標Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河』‐無名の人々の健気な生き様

 

あらすじ:マクロとミクロ

「けれどもぼくは思ったよりもたくさん見てしまったから…人が、可憐に滅んでいくさまを。」

 

 得体の知れない道化役だった「ダダー」の真実が、ついに明かされます。

 

 個人小惑星農家のタックは、大手自動化農業企業ミールストームの攻勢と男手一つで育ててきた娘ザリーカの反抗期に悩まされる日々を送っていました。それでも地球から農業を学びに来た学者アニーを受け入れてからは、鬱屈とした日々にも多少の明るさが見え始め、成功すれば小惑星農家初の果樹栽培となるリンゴ「アケボシ」の栽培にも成功の兆しが見え始めます。しかしその最中、タックら個人小惑星農家たちとザリーカを、それぞれ過酷な試練が襲います。何やら訳ありらしいタック父子の過去の秘密とは、突然現れたアニーの正体とは、そして小惑星農家たちに明日はあるのか?

 

 全然ダダーと関係ないじゃん、と思われるかもしれませんが、本作は24世紀の小惑星農家タックの物語と、6000万年前から続く〈被展開体〉のダダーの物語が並行して語られます。タックパートでは太陽系に進出した人類の一市民の生活が詳しく描かれて作品世界に奥行を与える一方、ダダーパートではシリーズ全体の黒幕である「オムニフロラ」がついに登場し、幾星霜にも渡るダダーの戦いと諦念の日々が描かれており、二つのパートがきれいに対照をなしています。とはいえ完全に別の物語を無理やり同時に語っているわけではなく、逆境の中でも手を取り合い健気に生きていく人々の儚い姿が共通したテーマになっており、ラストではある人物が両方のパートに登場していたことが明らかになります。

 

 

解説:現れる黒幕

 シリーズの大きな転換点を前にした箸休めのようなポジションの本作ですが、黒幕となるオムニフロラが描かれるかなり重要な巻です。名前自体は第三巻「アウレーリア一統」で一度だけ登場しましたが、その来歴と脅威、そしてダダーが「失敗した被展開体」と語ったミスチフとの関わりがついに描かれます。行く手に存在する文明を次々に飲み込み、致命的感染症を生き延びた強いものだけを自らの軍団に取り込みながら、際限の無い亜光速の進軍を続ける植物を基幹とした生態系群。omni-は「全て」という意味のラテン語の接頭辞で、floraはある地域に生息する植物群の全体を示すので、「オムニフロラ」とはまさしく名が体を表しているネーミングです。

 また、あらすじの部分でも触れましたが、市井の人々が健気に生きる姿が実に心に触れます.。2,3,4巻では、第1巻「メニー・メニー・シープ」からその存在を示唆されてきた人々、すなわち〈救世群〉、〈酸素いらず〉、〈恋人たち〉が主役となってきました。本作ではそうしたシリーズのメインストリームから離れた無名の人々にスポットが当てられます。麗々しい能力や宿命、生業を生まれ持たない彼らが危機を乗り越えて生み出した星のリンゴ「アケボシ」が、シリーズの結節点となる次巻の「アップルハンティング」で重要な役割を果たすのには感慨深いものがあります。

 

 

最後に:迫りくる危機

 一応「めでたしめでたし」で終わる本作ですが、何やら不穏な動きも複数見え出します。何かに操られたような笑いを漏らしながら暗躍する人々、ロイズ傘下の巨大ロボット企業MHD社の台頭、太陽系に向かってくる謎の飛行体。そしてエピローグでアニーが述懐するように、それらの脅威に対抗するわざを人類はいまだ生み出せていません。繁栄を謳歌する太陽系人類の運命はどうなるのか。物語はついに第六巻「宿怨」へと歩みを進みます。

 

 

補足:誤植かな?と思った箇所

 p423で「ロイズ宇宙アカデミー」が“RAU”と略されていますが、現実に存在する「ロイズ・オブ・ロンドン」のロイズのつづりは“Lloyd’s”なのでLAUとなるのでは…まぁ天冥の標世界のロイズは現実世界のロイズとは別物と言われればそれまでですが。

 

 

天冥の標Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河

天冥の標Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河

 

 

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小川一水『天冥の標Ⅱ 救世群』‐感染症ディストピア小説

はじめに:ひたすらにシリアス

 未来の植民地星での反乱を描いた前作から一気に時間をさかのぼり、本作の舞台は西暦2010年代の地球です。突如発生した致命的感染症「冥王斑」に翻弄される人類と、冥王斑の患者群である〈救世群〉の誕生を描きます。だいたい察することができるかと思いますが、シリーズ随一のシリアス回です。幽鬼のようになりながら治療活動を行っても一握りの命しか救えない医療従事者たちの苦悩、苦しみ死んでいく患者たちの姿、そして生還した患者たちに向けられる社会の冷たい視線。「病気」が巻き起こすやり場のない恨みと憎しみの連鎖を〈救世群〉の祖となった一人の少女を通して赤裸々に描きます。

 

あらすじ:冥王斑とは何なのか

 冥王斑はシリーズ全体を貫く重要な設定の一つです。95%という高い致死率を持ち、感染すると全身で循環不全を起こし約一週間で死に至ります。最大の特徴は運よく生還した場合でもウイルスが体内から消えず生涯感染力が消えないこと。眼の周りに手を押し付けられたような斑紋を持つ生還者たちは生涯、そしてその子孫に至るまで隔離される宿命を負います。

 最初のアウトブレイクパラオで発生しました。現地に飛んだ感染症専門医の児玉圭吾と矢来華奈子は死者が累々と転がるこの世の地獄と化した楽園の地で、かろうじて生き残った少女檜沢千茅(あいざわちかや)に出会います。パラオでのアウトブレイクの収束後、彼女は日本人の生還者第一号として日本に移送されました。最初は頻繁に見舞いに訪れた同級生たちも、感染力が消えない以上二度と千茅と一緒に生活することはないと知ると次第に彼女から離れていきます。永久に社会から隔絶される患者の宿命を思い知り一度は絶望した彼女でしたが、非感染者の友人紀ノ川青葉や、アウトブレイクが発生するにつれ増えていく生還者たちと手を取り合いながら「合宿所」と呼ばれる患者群隔離施設で生きていく道を見出します。

 

 一方世界各国ではアウトブレイクが頻発していました。冥王斑は病原体に接触してから1日で感染能が生起することに加え、8から10という高い基本再生産数を持つ感染力の強い病気です。そのため早期の封じ込めが難しく、パラオに続いてオーストラリア、イギリス、アジア、アフリカ諸国などで数十人から数百人規模の犠牲者が出る中規模のアウトブレイクが立て続けに起こります。そしてついに日本経済を麻痺させるほどの大規模アウトブレイクが東京で発生し、千茅たち生還者や青葉を見つめる社会の目は厳しさを増していきます。そして「東京アウトブレイク」以前からも地元住民の強硬な反対運動に遭ってきた合宿所にも大きな変化が…

 

結び:絶望の中の一縷の希望

 病気への嫌悪、隔離される感染者の孤独、感染者を排除する感情など、病気が巻き起こす人間の負の感情が、檜沢千茅の絶望を通じて分かりやすく描かれます。個人的に読んでいて一番きつかったのが、一度は希望を取り戻した千茅が終盤に再び絶望に沈むシーンでした。同級生から排斥され一度は自死を試みるも、青葉という友人を得て希望を見出した千茅。いつの日か患者群が社会に受け入れられることを信じ、患者たちのネットワークを作り上げて世界に患者群と社会の融和を訴えた千茅。ワクチンを生産するための過酷な採血にも進んで応じていた千茅。そこまでしても、結局社会は患者群をさらに厳しく隔離することを選び、合宿所は崩壊しました。千茅自身もその際人間としての尊厳を破壊されるような経験をします。千茅はいわば、「上げて堕とされた」わけです。安直な感想ですが、読了後に、「結局千茅は闇堕ちしてしまうのか」と思い暗澹たる気持ちになったことを覚えています。

 

 ところで本作はコロナ禍と関連付けて語られることも多いようです。確かに冥王斑が発症直後に嗅覚障害を伴うことや、首都圏での緊急事態宣言発令など共通する点はありますが、冥王斑とコロナウイルスには根本的な違いがあります。一つ目は致死率。冥王斑の95%という高い致死率はある意味度を越えたもので、コロナウイルスの致死率は到底及びません。それでも十分に社会を壊せるところが、事実は小説より奇なり、と言ったところですが...。二つ目は、冥王斑の回復後も感染力が残るという特異な性質。この点が〈救世群〉のような恒常的患者集団が生まれる原因でもあり、またこれが無いからこそ当たり前のことですがコロナウイルスからの回復者は社会復帰できます。

 それゆえに、本作は「コロナ禍を予言した小説」ではなく「病気が起こす差別が恒常化した世界を描くディストピア小説」として語られるべきでしょう。実際、患者たちは本作で描かれるような差別―例えば感染しただけで汚いもののように扱われたり、身内に感染者が出ると遠回しに付き合いを断られたり―よりもさらに厳しい扱いに、以後500年に渡ってさらされることになります。

 しかし、そんな陰惨なディストピアの中に小川一水は一縷の希望を加えます。それこそが本作における紀ノ川青葉であるのです。感染者を排斥すべき絶対的な他人として見るのではなく、自分も運悪く感染していたらその中に加わっていたかもしれないと考え、感染者と同じ目線に立てる人間。そして感染者と健常者の間の壁に壁を築くのではなく、その壁を越えられる人間。本シリーズのタイトルが示す「天冥の標」とはこのような存在のことなのかもしれません。

 

 

天冥の標 2 救世群 (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標 2 救世群 (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:小川 一水
  • 発売日: 2010/03/05
  • メディア: 文庫
 

 

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小川一水『天冥の標Ⅲ アウレーリア一統』-めぐり合う二つのマイノリティ

あらすじ:「SF」のはじまり

 第一巻「メニー・メニー・シープ」に登場した《海の一統(アンチョークス)》たちが主人公の物語です。《海の一統》は元々真空環境下でも行動できるように自らに遺伝子改造を施した《酸素いらず(アンチ=オックス)》と呼ばれる人々だった、という彼らのルーツが描かれます。前作から間が空いて300年ほど後の時間軸の話であり、人類文明の中心が宇宙に移っている他、「ロイズ非分極保険社団」「クアッド=ツー」「セレス」「ドロテア=ワット」など後々重要になってくるキーワードが多数登場します。そんなわけで、伏線で満ち満ちている上にとんでもない終わり方をする第一巻「メニー・メニー・シープ」、感染症ものとしての性格が強かった第二巻「救世群」を経て、ようやく表れた「SFとしての天冥の標」の入門の巻が本作だと言えるかもしれません。

 主人公は《酸素いらず》のアダムス=アウレーリア。宇宙服なしで真空で活動できる体質と、コイルガンを自由に操れる《酸素いらず》としての特性を生かしながら海賊狩りの任務に当たる彼らはある日、海賊の襲撃を受けた小惑星エウレカを訪れます。そこに住む致命的感染症「冥王斑」の患者群《救世群》から、軍事転用可能な莫大なエネルギーを秘めた宇宙遺跡「ドロテア」の情報を得たアダムスたちは、ドロテアの位置を示す報告書を奪っていった海賊組織「エルゴゾーン」の追跡を始めます。かくして、ドロテアを手に入れて勢力拡大を目論む宇宙海賊の頭領イシス、彼らを阻止しようとするアダムスたち、そして自らを迫害してきた人類に対抗する力を渇望する《救世群》の女議長グレア=アイザワらによる、三つ巴のドロテア争奪戦が幕を開けます。

 

感想:マイノリティの逆襲

 あらすじからもわかるように本作は所謂「スペースオペラ」です。《酸素いらず》と海賊たちとの真空環境下での戦闘シーンは血沸き肉躍るものがありますが、アダムスたちの船である強襲砲艦エスレルの構造と、「減速強襲」の全体像がつかみづらくて物語に没入しづらいのが玉に瑕、といったところでしょうか。それでも名シーンは多々あって、終盤の、ドロテアでの戦闘中にエスレルから対艦レーザーを取り外して海賊に向けてぶっぱなすシーンは中々に印象的でした。

 とはいえ、ドンパチを描くだけで終わらないのがさすが天冥の標といったところで、やはり本作にも冥王斑がもたらす差別が暗い影を落とします。21世紀の終わりに生計を立てるために月面へと移住した《救世群》はその地をも逐われ、人類の多数派が居を構える主小惑星帯メインベルト)から離れた小惑星エウレカに居場所を移しています。本作で描かれるドロテアを巡る一連の騒動は、迫害される一方だった《救世群》が初めて人類に対して公然と牙をむいた事件でもありました。本作の中盤、イシスの策略で艦と伴侶を失い悲嘆にくれるアダムスの居室をグレアが訪れ、アダムスの傷をえぐるような言葉を投げかけるシーンがあるのですが、この時のグレアの言葉ほど《救世群》の心情をよく表すものはないでしょう。

 

「誰が」

 ずい、とアダムスのそばに影が立ち上がった。底抜けの悪意を持つ見知らぬ魔物のように、視界を塞いで顔を寄せる。切れ長の細い二つの隙間に白い目が光っている。

「やめるか。こんなに気味のいいこと。」

アダムスはシーツを蹴って後ずさろうとする。相手は心から嬉しそうに涼しげな笑いをもらす。

「それが私の境地。救世群の境地。囲まれて奪われて突き落とされ叩かれる。苦しくて、痛くて、息もできないでしょう。どうして自分がそんな目に遭うのかって、呪わしいでしょう。人も神も何もかも遠ざけたくなるでしょう。‐あなたがわかるわ、とてもよくわかる。生まれてきた新しい赤ん坊を見るような気持ちよ。ようこそアダムス、愛しいわ。今までで一番あなたを近くに感じる。」[1]

 

 

 《酸素いらず》はその型破りな振る舞いによって《救世群》と同様に人類社会のはみ出し者になりながらも、持ち前の進取の気性を生かし常にフロンティアを開拓し続けることで一定の社会的評価を得ていました。しかしそれは「閉じ込められずに、どこにでも行ける」という人としての当たり前の権利を享受できていたからであって、その権利を奪われれば同じマイノリティである《救世群》と変わらない存在となります。まさにその境遇に堕とされたのが第六巻「宿怨」に登場するワイラケイ会派の人々であり、そしてこのマイノリティが等しく持つ宿命に気づいたからこそ、アダムスは本作の終章で《救世群》の後見を引き受けました。全く性質の異なるマイノリティ集団が互いの共通項を見出し手を取り合おうとするこの出来事こそが、本作のもう一つの重要な側面といえるでしょう。

 

結び:「天冥の標」が本格的に動き出す

 抽象的な話になってしまいましたが、本作はシリアス要素はあるものの読みやすい文体のおかげでどんどん読める作品です。前作に登場した矢来華奈子の子孫のセアキ・ジュノや、彼と行動を共にし本作ではボディを手に入れたAI「フェオドール」などの個性的なキャラクターたちが繰り広げる軽快なやり取りも魅力の一つ。また「宿怨」のジニ号計画の萌芽が見られたり、相変わらず謎な存在ダダーと羊の関係が明らかにされるなど、新たな伏線が登場する一方これまでの伏線も回収され始めます。総合的に言えば、いよいよ天冥の標の世界が本格的に始動してくるワクワク感を味わえる一作となっています。

 

[1] 小川一水「天冥の標Ⅲ アウレーリア一統」p383‐384.2012.ハヤカワ文庫

 

 

天冥の標Ⅲ アウレーリア一統

天冥の標Ⅲ アウレーリア一統

 

 

 

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小川一水『天冥の標Ⅳ 機械じかけの子息たち』の感想 - 緬羊書評協会


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伊藤計劃『ハーモニー』‐人間を変えることは許されるか

はじめに:質問

Q.近代社会は人間に何者にも依存せず自立した存在であることを求めるが、何かに依存せずにはいられないのが人間の性である。この矛盾が依存症の発生という形で表出する。では、依存症を防ぐためにはどうしたらよいか?

 先日参加した講演で、講演者がこのような問いを投げかけた。直後に講演者が提示した模範解答は以下のようなものである。

A.生活の随所に「仲間」を持つことで、分散的かつ非公式な形で依存をするよう人間に促す。

 要は常に自立を求める近代社会というシステムの抜け道を利用して、社会と人間の折り合いをつけよう、ということであろう。社会と人間、矛盾する両者のどちらも損なわずに解決を求める穏便で良い方法だと思う。しかし、「ハーモニー」の世界が出すだろう解答はこうだ。

 

A.依存するものを求める人間の本性を破壊すればよい。

 

あらすじ:ハーモニーある世界

 作中で明言されることはないが、本作は伊藤計劃の処女作「虐殺器官」の後の時間軸に位置する。「大災禍」と呼ばれる混乱の時代を経て、人類は穏やかに統制された平和な社会を築き上げた。個人の命は社会全体の大切なリソースであるという意識が広まり、人々の健康は体内に仕込まれたナノマシン「WatchMe」で常にモニターされ、病気は消滅した。大切なリソースを破壊するような行動、例えば殺人や不摂生は穏やかに非難され、互いを思いやることが至上とされる。そんな「みんながみんな、ニコニコわらってあく手してる」世界に対してミァハ、キアン、そして主人公のトァンの三人の少女は自殺という形で反抗を企てるが、ミァハ以外の二人は生き残り、真綿で首を絞められるような世界に取り残される。

 13年後、成長し国連の監察官となったトァンは、紛争地域を渡り歩く日常を送っていた。普段は健康を脅かすものとして摂取が禁止されているアルコールや煙草も、紛争地域なら闇取引で手に入る。「優しさと健康でぎゅう詰めの社会」の抜け道を利用してかつての自分が抱いた社会への反抗をささやかな形で実現する日々を送るトァンだったが、ある日久しぶりに再会したキアンが目の前で喉を掻き切り自殺する。それと時を同じくして世界各国で同時多発的に人々が自殺を試み、死んだはずのミァハから全世界に向けてメッセージが送られる。

 

 これから一週間以内に、誰かひとり以上を殺してください。それができない人には、死んでもらいます。

 

 

 

書評:人間を変えることの是非

 本作の世界は一見誰も病むことが無くうまく回っているように見えるが、過剰な統制が引き起こす矛盾は確固として存在し、それが自殺者の増大という形で表出している。人の性は真綿で首を絞められるようにじわじわと行動を制限されることに耐えられないのだ。トァンや同僚のウーヴェのようにシステムの抜け道を利用して折り合いをつけられる人間もいるが、そうでない者の方が多いことは年々増加する若者の自殺率が明白に示している。

 ではこの人間と社会の間の矛盾をどう解決するか。社会のシステムを変えてしまうわけにはいかない。そんなことをしたら統制の軛から放たれた人間の本性が再び「大災禍」を起こすだろう。ならば、人間を変えてしまうしかない。こうしてミァハが、そして「ハーモニー」の世界がたどり着いた結論は人間の本性を破壊することだった。

 多くの人がそうであるように私もまたこの結論には激しい拒否反応を示さずにはいられない。しかし、この結論を論理的に否定しようとしても、「人間の本性は変えてはならない聖域だ」という倫理的な議論に持ちこむしかない。その問題にしても

 喜怒哀楽、脳で起こるすべての現象が、その時々で人類が置かれた環境において、生存上有利になる特性だったから付加されてきた「だけだ」ということになれば、多くの倫理はその絶対的な根拠を失う。

という意見で作中であっさりと否定されてしまう。論理的に考えれば、人間の本性を変えることを妨げるものは何もないのだろか?

 設定は大きく異なるが、漫画版の「風の谷のナウシカ」でも同じような問いが投げかけられる。かつて「火の七日間」と呼ばれる最終戦争で荒廃した世界を回復させるために、生態系のみならず人間そのものまで変えてしまった者たちがいた。物語のクライマックスで、旧世界の遺物であるシュワの墓所でそのことを悟ったナウシカはしかし、自らの体に手を加えて清浄な世界で生きることを良しとせず、汚染された黄昏の世界でありのままに生きることを選ぶ。

 本作ではトァンは果たしてどちらの世界を選ぶのか。人間の本性が破壊された調和ある世界か、人間が本性のまま生きる混沌の世界か。そして我々はどちらを選ぶのか。重苦しい問いを投げかけてくる作品である。

 

 

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

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ワームホールネットワークの図解付き解説──デレク・クンスケン『量子魔術師』

※読んだ本の「次に読む本」を紹介するウェブメディア「ブックレコメンド」にも「量子魔術師」の記事を投稿しています(「次に読む本」になっています)よろしければこちらもどうぞ。

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はじめに:荒削りながらも意欲的な仕上がり

読み込むほど味が出てくる一冊です。随所の紹介文でさんざん言われているように「オーシャンズ」的な要素もあるにはありますが、いざ読んでみるとエンターテインメント的な要素だけでなくかなり高尚な内容も含んでおり、「SFのコンゲーム」と短絡的に決めつけることは出来ないと思います。ただ、作中の地理関係を頭に入れておかないと混乱するのに加え、かなり背伸びした設定や登場人物の豊かな罵り言葉に翻訳が追い付けていない箇所がいくつかあったので、読み手に対してあまり親切とは言えない作品です。

私自身理解できていない部分もあるので、改めて整理する意味も込めてまずは作品の舞台設定の解説をしておこうと思います。ネタバレの直前には警報を発しますので未読の方もご心配なく。

 

あらすじ1:世界軸ネットワークの解説

 

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「量子魔術師」の世界

本作ではワームホールを用いたワープが可能です。宇宙船はかなり気軽にワームホールを誘導して近距離のワープを行えますが、何百光年にも渡る移動が可能かつ恒久的に存在するワームホールは「世界軸(アクシス・ムンディ)」と呼ばれ、強大な力を持つ「パトロン国家」たちの管理下に置かれています。パトロン国家の支配下にある「クライアント国家」は、ワームホールの使用をパトロン国家に制限される、新たなワームホールや先進技術を発見したらパトロン国家に献上する義務がある、といった厳しい協定を結ばされています。クライアント国家の一つ「サブ=サハラ同盟」が、辺境への遠征中に革新的なドライブ機構を発明したときも、本来ならクライアント国家である「金星コングリゲート」にこの発見を伝えなければなりませんでした。しかし彼らはコングリゲートからの独立を期して内密に研究を進め、亜光速推進が可能なドライブ機構を搭載した強力な艦隊を建造することに成功します。そして故郷への帰還途上にある「パペット神政国」の管理するワームホール「パペット軸」を戦闘艦12隻と共に突破するために、主人公のベリサリウスに協力を依頼します。

…と、物語の背景を説明するだけでも新出用語が何個も出てきます。この点もまた、初読時に設定が理解しにくい原因でもありますが、その問題を解決するためにもこの記事を書いている訳なのでもう少し続けましょう。

他のワームホールと同様に、パペット軸もまたパトロン国家によって厳重に警備されています。サブ=サハラ同盟の遠征艦隊は辺境の地「ポート・スタッブス」側から、「パペット・フリーシティ」側へと抜けようとしますが、まずポート・スタッブスは要塞化された二つの小惑星「ヒンクリー」「ロジャース」によって警備されています。またパペット・フリーシティ側の出口は「準惑星オラー」の地底にあり、地上に出るには四つの装甲化された門扉を潜り抜けねばならず、さらに作戦実行時には遠征艦隊の動きを察知したコングリゲートが致命的戦闘力を持つ「ドレッドノート型戦艦」をも送り込んできます。以上までを模式化したのが冒頭の図です。

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「量子魔術師」の世界(再掲)

本作の前半は、遠征艦隊からの依頼を受けたべリサウスが、特殊技能を持つアウトサイダーたちを集めてチームを結成する…といういかにもオーシャンズチックなストーリーで占められます。この辺は初読でも十分理解できるので割愛。ベリサリウスの種族「ホモ=クアントゥス」の設定がかなり凝っているのもあり、前半パートはほとんどホモ=クアントゥス、ホモ=エリダヌス、ホモ=プーパ(パペット)とヌーメン、及びその他の「人間」のメンバーのバックグラウンドの解説となっています。

また、タイトルからもわかるように量子論について一定の知識が無いと読んでいてわかりにくい箇所が出てくると思います。作中でも一応解説はされますが、とりあえず「量子の重ね合わせ」「量子もつれ」といったワードを小耳にはさんだことがある、という状態で読み始めることをお勧めします。この辺の話は昨今何かと話題の「三体」でも登場しており最近のSFではポピュラーになりつつあるトピックなので、少し勉強しておいても損はないかと。まぁ私も量子論自体についてはおぼろげにしか理解できてはいませんが...

話が逸れましたが、続いて後半部分について解説していきます。ネタバレをされたくない方はここで引き返してください。

 

あらすじ2:ベリサリウスの真の計画(ここからネタバレ)

最初にベリサリウスが提示した作戦は以下の通りです。目標はパペット軸の防御システムの無効化。そのために最先端AIセント・マシューがウイルスを作成し、追放されたパペットであるゲイツ=15がパペット・フリーシティにスパイとして侵入してウイルスを送り込みます。その際の手土産として、遺伝子学者デル=カサルが外科手術を施し「ヌーメン」へとつくりかえたベリサリウスの師ウィリアムを同伴します。パペットはヌーメンを支配者かつ信仰の対象として無条件に尊崇するようにデザインされた遺伝子を持ち、野生のヌーメンが絶滅に瀕している今新たなヌーメンのように偽装されたウィリアムを伴えば、フリーシティの深部のワームホール防衛システムの近くにまで潜入できる、という算段です。またウィリアムとゲイツ=15はパペット軸を通りポート・スタッブスの防衛システムにもウイルスを侵入させます。駄目押しに、準惑星オラーの地底海を陽動のために爆破。高い水圧の中でも作動する爆薬を元コングリゲート軍下士官マリーが設計し、高圧環境化でも活動できるホモ=エリダヌスのスティルスが海底に爆薬を設置します。そして、パペット軸の防御が無効化されている隙に遠征艦隊に軸を通り抜けさせる、というのが当初の計画でした。

しかしこの計画はチーム内にスパイがいることを察知していたベリサリウスのブラフでした。スパイを通じてパペット側に作戦情報を漏らすことでフリーシティ側のパペット艦隊の一部をポート・スタッブス側に移動させ、わざとポート・スタッブス側の防御を固めさせます。そしてもう一人のホモ=クアントゥスのカサンドラが遠征艦隊を操りパペット軸の中に直接ワームホールの出口を開くことで、ポート・スタッブス側を通らずにパペット軸に侵入し手薄になったフリーシティ側の警備を突破する、というのが真の計画になります。

とはいえこの計画にもツッコミどころはあって、まずパペット軸の中にワームホールの出口を開けるなら、軸の中からフリーシティの外にワームホールを開けばフリーシティ側の警備もスルー出来るのでは?という点。これについては軸の中の世界は「不安定」であるという描写があるので、恐らく軸を通過中にワームホールを誘導することができないという理由があるのでしょうが、この点について明確な説明は作中にありません。もう一点は、この計画ではオラーの地底海に爆弾を仕掛ける意味はあるのか、という点。マリーとスティルスは散々苦労して爆弾を設置しますが、なんとこの爆弾、起爆される描写がありません。精々起爆装置として残した量子もつれを起こしたボタンが、カサンドラワームホールを開くときに利用されるくらいで、果たして爆弾を設置する意味はあったのか、ブラフだったしても設置された爆弾は特に情勢に影響を及ぼしていないのでは?という疑問がいまだに自分でも解決できていません。一応マリーとスティルスの二人には軸をくぐる遠征艦隊の最初と最後の艦に同乗して、計画の報酬でもあるインフラトン・レーサーを駆って戦場を離脱するという見せ場はあるのですが、爆弾を設置する苦労は何だったんだ…という気にもなります。というか、ドレッドノート型戦艦に対抗できるほどの強力なインフラトン砲があるんなら、そもそも詐欺計画など立てずに軸を強行突破できたのでは…?

 

評価:読むための骨折りに見合う価値はある

ざっくりと解説するだけでもかなりの量になってしまいました。本作は元々ボリュームがある上に(文庫本にして600ページ余り)、複雑にならざるを得ない詐欺計画がテーマで、おまけにワームホール、遺伝子改造、そして何よりも量子論という、語るべきものが多いトピックをかなり欲張って取り入れています。その結果、解説が不十分だったり設定に齟齬のような部分が見られたりして初読者が話についていくのはかなりきついと思います。それに加えて翻訳も万全とは言い難い。扱う内容、設定の正確さは置いておくにしても、かなり読むのに骨が折れる作品となっているのは間違いありません。

しかし本作は意欲的な設定に見合う重厚なストーリー展開も備えています。量子現象の観測を最優先しようとする量子知性体と自己保存を最優先する主体の間でジレンマに陥るホモ=クアントゥスや、口汚く罵り合いながらもお互い文明世界のはみ出し者として協力し合うようになるマリーとスティルスのタッグ、服従するものを求めずにはいられない存在としてデザインされたパペットの苦悩や、短期間で遠征艦隊が達成した大幅な技術革新の陰にある秘密など、読むための骨折りに十分見合う骨太なストーリーがあなたを待っています。個人的にはブルーカラーの悲哀や、叩き上げとしてのプライドが感じられるマリーとスティルスの掛け合いが好きです。挑戦的なハードSFが読みたいという熟練SF読者には是非ともおすすめしたい一冊となっています。

 

 

量子魔術師 (ハヤカワ文庫SF)

量子魔術師 (ハヤカワ文庫SF)

 

 

 

 

 …蛇足なのですが、本作の表紙、中身の重厚さと若干ずれてませんかね...

刘慈欣 『三体Ⅱ 黒暗森林』-愛は地球を救えたのか?

※既に読了した人向けの内容です。ネタバレもあるのでご注意を…

※読んだ本の「次に読む本」を紹介するウェブメディア「ブックレコメンド」にも「三体Ⅱ」の記事を投稿しています。よろしければこちらもどうぞ。

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あらすじ:見せ場の無い人類

文化大革命に父を殺され、人類に絶望した科学者葉文潔が発したメッセージに応えて異星の侵略軍「三体艦隊」が地球に向かってきつつあり、さらに先行部隊として「智子(ソフォン)」なる極小兵器が既に地球に到達している。智子は陽子一つ分の大きさしかないが高い諜報能力を持ち、地球側の情報は全て敵に筒抜け。さらに智子はミクロレベルの干渉を行い人類の科学技術の発展を阻害する上に、三体文明に同調する地球人組織ETO(地球三体協会)もまた智子を介して三体人と通じている。三体艦隊の到着まであとおよそ4世紀。どうする人類。

…という圧倒的に人類に不利な状況から始まる本作ですが、タイトルでも言ったように人類の「見せ場」はラストシーンを除いてほとんど皆無です。智子が人間の思考の中身までは読み取れないことを利用し*1、一個人に「面壁者」として強大な権限を持たせて彼らの頭の中でのみ防衛計画を練り、三体人に人類の意図を悟られないまま防衛体制を敷く「面壁計画」を人類は発動させます。しかし4人の面壁者の計画はETOの刺客によって次々と看破されていきます。そしてそのたびに面壁者は精神崩壊して自殺したり、民衆のリンチで亡くなったりと悲惨な末路を辿ります。

面壁計画が放棄された後、人類は紆余曲折を経て技術レベルを智子の妨害が許す限界まで向上させ、宇宙艦隊の建造に成功しますが、このうち99%が三体艦隊の放った探査機「水滴」に破壊され人類は宇宙兵力を失います。自らの技術に慢心し三体文明への勝利を確信した人類が、「水滴」単騎によって1000隻規模の艦隊が粉砕されるのを見て絶望する様は滑稽ですらあります。

 

感想:愛は地球を救う?

「三体」は群像劇のような形で語られるので特定の主人公は存在しないのですが、強いて言えば前作の主人公格は葉文潔だったといえるでしょう。そして本作冒頭の葉文潔が娘の墓前で「宇宙社会学」の概念を語るシーンで、主人公のバトンは社会学者の羅辑(ルオ・ジー)に渡ります。羅辑は面壁者として人類の希望を一身に負わされ、民衆から救世主に祀り上げられたかと思えば計画の成果が出ないとすぐさま後ろ指をさされ散々な扱いをされます。面壁計画の邪魔になるという理由で妻子も取り上げられた羅辑は、人類が絶望に沈む中で葉文潔とその娘の墓前を再び訪れ、たった一人で三体世界との最後の対決に臨みます。

彼が人類から受けた仕打ちを考えれば、葉文潔のように人類を見捨てた*2としても何も不思議はなかったでしょう。しかし、彼はそうしなかった。葉文潔と羅辑、人類愛を持つには程遠い環境を生き抜いてきた二人の決断を分けたのは、愛でしょう。葉文潔は三体世界へのメッセージの送信が露見することを防ぐため、政治委員の雷志成を殺害しましたが、その際成り行き上夫をも手にかけています。しかも当時葉文潔のお腹には夫楊衛寧との子がいました。一方羅辑は最後の最後まで妻と、そして子供と再会することを望んでいました。この違いから、本作はかろうじて個人に対する愛を持つことは許された主人公が、人類を救う物語とも解釈できるでしょう。

 

結び:「死神永生」への伏線を考えてみる

しかし本作はこうした平和な解釈には収まらない不穏なものも含んでいます。第一は、羅辑の妻荘顔が、羅辑の妄想から生まれた人物であること。もちろん荘顔は実在の人物で、たまたま羅辑の作り出した理想の女性像と完璧に一致した女性であっただけですが、このわざとらしい偶然、そしてあまりにも簡単に荘顔が見出されるところに、何か作者の意図が隠されているような気がしてなりません。加えて作者は羅辑の主治医に次のような不気味な言葉を言わせています。

 大部分の人間の恋愛対象も、想像の中に存在しているだけです。彼らが愛しているのは現実の彼・彼女ではなく、想像の中の彼・彼女に過ぎません。現実の彼・彼女は、彼らが夢の恋人をつくりだすために利用した鋳型でしかない。(上巻p112-113)

 羅辑の荘顔への愛は結果的に人類を救いましたが、その正体とは一体何だったのでしょうか。

 

そしてもう一点。本作のラストでは一見平和が訪れ、羅辑が愛について三体人と会話するシーンもあります。しかしこの平和は見せかけのものにすぎません。地球人と三体人の頭の上には「呪文」というダモクレスの剣が吊り下がっています。いつ何時、呪文が宇宙に向けて放たれ、黒暗森林の闇の中から致命的な攻撃が飛んでこないとも限らない。そんな核抑止論的な危うい均衡の上に地球人と三体人は立っています。

 

果たして第三部「死神永生」では何が起こるのか。三体人が何らかの形で「呪文」を無効化して「三体人vs地球人」という図式が復活するのか、あるいは重力波システムがETOの残党によって作動させられ、人類が三体人もろとも破滅の危機を迎えるのか。そして、外宇宙へと消えた「藍色空間」と「青銅時代」に乗った新人類はどのような形で未来の人類の前に姿を現すのか?乞うご期待、といったところでしょう。

 

 

三体Ⅱ 黒暗森林(上)

三体Ⅱ 黒暗森林(上)

 

 

 

 

 

*1:三体人は他者に対して思考を隠すすべを持たず、欺瞞に対して全く耐性を持たない。面壁計画はこの性質を突いたものでもあるが、三体側はETOのメンバーから「破壁者」を選び、彼ら彼女らをして面壁者の計画を暴かせることで対抗した。

*2:文革で父を失い、下放先で親友の密告に遭い、文革後に父を殺した紅衛兵たちから逆に面罵され、葉文潔の心は人類から離れきっていた。地球外生命体に人類の存在を知らせる方法を見出した葉文潔が考えたことは、人類を異星文明という絶対的な第三者の裁きに委ねることだった。皮肉なことにこの発想は葉文潔を密告した白沐霖がもたらした「沈黙の春」によって生まれたものだった。

外に出るか内に籠るか──小川一水『青い星まで飛んでいけ』

「外に向かう」ことが美徳とされる今日この頃である。大学生で起業して一足早く大人の社会に漕ぎ出す。英語と中国語を身につけて世界で通用する人材になる。そうやって外へ外へと飛び出していくのが現代の若者のトレンドのようだ。そして今、そうした海外雄飛の計画がコロナ禍により潰え、悲嘆にくれている人も数多くいることだろう。

 

そんな人たちに本作を贈りたい。表題作『青い星まで飛んでいけ』の主人公は、人類が遺した宇宙船群に宿るAI「エクス」。「ホモ・エクスプロルレス」という正式名称の通り、地球外生命体とのコンタクトを目指してひたすらに宇宙を探索するようプログラムされている。人類との交信が途絶えても、「未知こそ宝、未知の地を踏もう」という人類に与えられた基底衝動に従ってエクスはまだ見ぬ知性を探し続ける。人がもつ未知への探求の精神を、機械ながら見事に体現した存在だと言えるだろう。

エクスは自我を持っており、任務の愚痴をこぼしたりとわりと感情も豊かである。また面白いことに宇宙船群全体としてのエクスの自我とは別に、下位機器群たちもそれぞれの自我を持っている。例えばエクスが敵を感知すると、戦闘機械群たちが「ヤるのかしら、ねね、ヤっちゃうのかしら」「溜めとく?備えとく?」などとおしゃべりしながら兵器や弾薬の準備を始める。下位機械群たちは基本的にエクスの指示に従うが、時にはエクス本体の意思と無関係に行動する。本体が接触を控えている生命体と独自のコンタクトをとったり、本体が怒ると「逆上した子供がとっさに相手を叩いてしまうように」攻撃を仕掛けてしまったりと、何やらやんちゃ坊主のような振る舞いをしたりもする。一方でそうした比較的「若い」機械群を世話する老齢のエキスパート機械もあり、エクスは、本体自我を中心とした大きな家族のような様相を呈している。そうしたやけに人間臭いエクスが、実は元素変換や準光速恒星間航行を行う高い技術レベルを備えているというギャップもまた面白い。

ところで、エクス本体は未知の生命体とコンタクトをとるという使命について、どのような思いを持っているのだろうか。長くなるが以下に引用する。

 

 未知こそ宝だ。未踏の地を踏もう。未見の人々に触れよう。

 そう謳いあげたホモ・サピエンスの気持ちが、エクスには皆目わからない。一体どこの能天気なボンクラどもだ、と思う。

 未知ほど恐ろしいものはない。未踏の地ほど危険な場所はない。未見の連中なんぞ害虫と同義だ。住み慣れた場所で、親しい仲間だけに囲まれて、一生安楽に暮らしたい。これこそ汎宇宙的な生命の願いだろう。何が探検だ。何が接触だ。そんなことを続けていたら病気が移って腐っちまう。

 

 

 

現実は厳しい。未知は魅力的だが脅威でもある。好奇心のまま何の備えもなしに外の世界にホイホイ飛び出していくのは自殺行為だ。現に作中最初のコンタクトで、エクスは容赦ない攻撃を受ける。相手方の周到な欺瞞工作によって不意を突かれたエクスは一時期自我を保てなくなるまで破壊され、バックアップが再びコアを形成し自我が蘇るまで8000年の時を費やした。エクスにとっては未知の知性からの攻撃は日常茶飯事であり、コンタクトの瞬間には毎回激しい恐怖と緊張に襲われている。それでもエクスは未知との接触を止めることができない。なぜならそれはエクスに埋め込まれた基底衝動だからだ。

そしてエクスと同じように、人類も未知への探求のために外に飛び出すことを止めずにはいられない。エクスが、何度も何度も欺瞞と攻撃と拒絶にあってもなお知性とのコンタクトを求めてしまうように、若者たちはいつの時代にもどんな困難があっても外へ外へと飛び出していく。

 

未知への飽くなき探求心と、未知の計り知れぬ危険。基底衝動と現実の残酷な矛盾というこの問題に、物語の結末でエクスは一つの解答を見出す。コロナ禍に海外雄飛を阻まれた人々はエクスが達した境地をヒントに、「外へ出る」という自身の行いを見つめなおしてみるのも良いのではないだろうか。

 

 

 

青い星まで飛んでいけ (ハヤカワ文庫JA)

青い星まで飛んでいけ (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:小川 一水
  • 発売日: 2011/03/10
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 

伴名練『なめらかな世界と、その敵』 -Love Train


 

はじめに:本作を読むに至った経緯

   2019年の上半期はほとんど「天冥の標」ばかり読んでいたのですが、日本SF大賞の候補作の中に本作が含まれていることを知り、いっちょ読んでみるか、と思ったのがきっかけでした。「天冥の標」のような長編SFとはまた違う、小ぶりながらも魅力ある作品世界に魅了されたのをよく覚えています。

紹介:愛ある奇妙な日常

 表題作の「なめらかな世界と、その敵」はその代表例と言えるでしょう。人々が並行世界を自由に行き来できる能力「乗覚」を持つ世界。この世界の住人は、例えば学生として地道に勉強する現実から研究者として華々しい発見をする現実へと「乗り換える」ことができ、蒸し暑い憂鬱な日にも季節外れの雪を「見る」ことができます。「ジョジョの奇妙な冒険」に登場するスタンド「D4C」のような能力を、全ての人が持っている世界と考えればわかりやすいかもしれません。ただ、ファニー・ヴァレンタインとは違い、並行世界を行き来するのは自らの意識だけであり、並行世界に移ってももとの世界での自分の存在が消えないため、好きな世界を自由に行きつ戻りつすることができます。主人公の女子高校生は学校で授業を受けながら家のベッドの上でゲームをプレイしつつ、バイト先の店で先輩とおしゃべりをするというごく普通の日常を送ります。しかしそんなある日、乗覚を失った転校生がやってくる…というのが大まかなあらすじです。

 あらゆる並行世界を行き来する奇妙な高校生活は、くるくると場面が変わるので、乗覚について説明されるまでは戸惑うこともあるかもしれませんが、中盤に差し掛かるにつれてスピード感ある目まぐるしい場面転換が楽しめるようになるのでご安心を。またそのように乗覚を楽しめるだけに、主人公がラストで見せた覚悟が、重みのある読後感を与えてくれます。

 また表題作もそうですが、本作には様々な愛を紡ぐ人々が登場します。夫婦の愛、姉妹愛、祖国愛、異性、同性への愛。作者が「2010年代、世界で最もSFを愛した作家」と称されているように、メタレベルでも愛に溢れた短編集です。安直な恋愛小説よりもより多様で深い愛を感じることができる本作、是非大切な人への贈り物にいかがですか、と言いたいところですが、一つ注意しておきたいことがあります(ここから思い出語りです)

 

 

結び:電車内で包装をはがすな

 私は2019年冬にクリスマスプレゼント用に本作を手に取ったのですが、買う前に表題作だけでもと思って目を通してしまったのが運の尽きでした。店員さんにギフトラッピングにしてもらって、家に持ち帰ってみたものの、続きが気になってしょうがない。いやいや、これは人に贈るものだから、と我慢していたものの、ついにクリスマス当日にバリバリと包装をはがして貪るように読んでしまいました。それも移動中の電車の中で。始めは読み終わったらまた包みなおして贈ればいいや、と思っていましたが、「ゼロ年代の臨界点」の中で「ネットワークの中に生まれる知性」というワードを見たとたんに理性が吹き飛びました。

 冒頭でも書いた通り半年前に「天冥の標」を読み終えたばかりだったので、「ダダー」と全く同じこの設定が琴線に触れてしまったのでしょう。この時点でもう本作を手放すまいと思ってしまい、結局この年のクリスマスプレゼントは無しになったのでした。皆さんも、「これは!」という本を人に贈るときには自分が読む用と贈る用で二冊用意するよう、くれぐれもお気を付けください…。

 

 

なめらかな世界と、その敵

なめらかな世界と、その敵