緬羊書評協会

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筒井康隆『旅のラゴス』-学問の復興

あらすじ:オデュッセイア

 物語は旅の途中から始まり、背景説明がないまま短編形式で淡々とラゴスの旅が続き、中盤の章「王国への道」でようやく旅の目的が明らかになる。くだくだしい状況説明を省いて読者をいきなり物語の核心に引っ張り込む「in medias res」と言われる手法のお手本のような小説で、自然にラゴスの旅に没入することができる。

 ラゴスが旅をする世界は人類がかつて故郷の星の汚染から逃れて漂着した世界であり、宇宙船や写真機などの高度な技術が失われ、それらの記憶も薄れかけているポストアポカリプスの世界である。技術と科学を失った人類はその代りに、異星で生き抜くためにそれぞれに大小の超能力を身に着けるようになった。その能力は時にテレポート能力であったり、テレパシーであったり、未来予知であったりし、各章の物語はこれらを中心に展開していく。もしかすると、「七瀬ふたたび」を短編形式に仕立て直すと「旅のラゴス」が出来上がるのかもしれない。

 

解説:「おれ」から「わたし」へ

 前述したように、中盤の章「王国への道」でラゴスが旅をする理由が、まだ技術を保っていた頃の人類が未来のために保存した書物群を解読することにあったことが分かる。先祖から受け継いだ書物を守り伝える村でラゴスは遺された書物を貪るように読み、失われた学問体系を吸収していく。先祖の日記と実用書から初めて、歴史と伝記、政治経済、社会科学、小説、医学史と科学史、そして法理論の順に15年に渡ってひたすら読み続けたラゴス。かれは吸収すべき知識の多さに押し潰されたり、内容の難解さに音を上げたりすることなく、ただ知識を吸収していく愉悦のみを語る。うらやましいとしか言いようがない。これほどまでに生き生きと、書物から学ぶことができる人間がいるだろうか。

  ラゴスはただやみくもに読み進めるのではなく、先に挙げたような体系的な順番で書物を読破していく。書物を読むということは先人が辿った知の道筋を辿ることであり、その意味で読書は学問の再生だとも言える。理想的な読み手であるラゴスの手によって失われた学問が再生されていく様子は爽快である。

  またこの章は物語の大きな転換点にもなっている。前半ではラゴスの一人称は筒井作品によくみられるように「おれ」なのだが、「王国への道」の途中、ラゴスに子供が生まれるのと前後して「わたし」へと変化する。また南へ南へと進んできたラゴスの旅もこの章を折り返し地点にして北の故郷へと帰る旅へと変化する。「王国への道」とそこで描かれる「学問の再生」は「旅のラゴス」の真ん中に打ち込まれた重要なくさびであると言える。

 

最後に:課題図書?大人向け?

 「パプリカ」のような清々しいおどろおどろしさや、「魚籃観音記」「偽魔王」のようなエログロ要素がない本作は、所謂「安心して課題図書にできる」本なのだろう。その意味では、「時をかける少女」や三島由紀夫の「潮騒」とも似たような系列の、小中学生にも勧めやすい筒井作品だ。かといって、作家の牙が抜かれて大人しくなった作品というわけでは全然なく、「旅」そして「学問の再生」という芯がきっちりと通っている。小中学生ではなく「筒井作品はエログロばかりでけしからん」とのたまうような大人にこそ勧めるべき作品なのかもしれない。

 

 

旅のラゴス(新潮文庫)

旅のラゴス(新潮文庫)

 

 

 

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