緬羊書評協会

読んだ小説の感想、思い出、時々書評

小川一水『天冥の標Ⅱ 救世群』‐感染症ディストピア小説

はじめに:ひたすらにシリアス

 未来の植民地星での反乱を描いた前作から一気に時間をさかのぼり、本作の舞台は西暦2010年代の地球です。突如発生した致命的感染症「冥王斑」に翻弄される人類と、冥王斑の患者群である〈救世群〉の誕生を描きます。だいたい察することができるかと思いますが、シリーズ随一のシリアス回です。幽鬼のようになりながら治療活動を行っても一握りの命しか救えない医療従事者たちの苦悩、苦しみ死んでいく患者たちの姿、そして生還した患者たちに向けられる社会の冷たい視線。「病気」が巻き起こすやり場のない恨みと憎しみの連鎖を〈救世群〉の祖となった一人の少女を通して赤裸々に描きます。

 

あらすじ:冥王斑とは何なのか

 冥王斑はシリーズ全体を貫く重要な設定の一つです。95%という高い致死率を持ち、感染すると全身で循環不全を起こし約一週間で死に至ります。最大の特徴は運よく生還した場合でもウイルスが体内から消えず生涯感染力が消えないこと。眼の周りに手を押し付けられたような斑紋を持つ生還者たちは生涯、そしてその子孫に至るまで隔離される宿命を負います。

 最初のアウトブレイクパラオで発生しました。現地に飛んだ感染症専門医の児玉圭吾と矢来華奈子は死者が累々と転がるこの世の地獄と化した楽園の地で、かろうじて生き残った少女檜沢千茅(あいざわちかや)に出会います。パラオでのアウトブレイクの収束後、彼女は日本人の生還者第一号として日本に移送されました。最初は頻繁に見舞いに訪れた同級生たちも、感染力が消えない以上二度と千茅と一緒に生活することはないと知ると次第に彼女から離れていきます。永久に社会から隔絶される患者の宿命を思い知り一度は絶望した彼女でしたが、非感染者の友人紀ノ川青葉や、アウトブレイクが発生するにつれ増えていく生還者たちと手を取り合いながら「合宿所」と呼ばれる患者群隔離施設で生きていく道を見出します。

 

 一方世界各国ではアウトブレイクが頻発していました。冥王斑は病原体に接触してから1日で感染能が生起することに加え、8から10という高い基本再生産数を持つ感染力の強い病気です。そのため早期の封じ込めが難しく、パラオに続いてオーストラリア、イギリス、アジア、アフリカ諸国などで数十人から数百人規模の犠牲者が出る中規模のアウトブレイクが立て続けに起こります。そしてついに日本経済を麻痺させるほどの大規模アウトブレイクが東京で発生し、千茅たち生還者や青葉を見つめる社会の目は厳しさを増していきます。そして「東京アウトブレイク」以前からも地元住民の強硬な反対運動に遭ってきた合宿所にも大きな変化が…

 

結び:絶望の中の一縷の希望

 病気への嫌悪、隔離される感染者の孤独、感染者を排除する感情など、病気が巻き起こす人間の負の感情が、檜沢千茅の絶望を通じて分かりやすく描かれます。個人的に読んでいて一番きつかったのが、一度は希望を取り戻した千茅が終盤に再び絶望に沈むシーンでした。同級生から排斥され一度は自死を試みるも、青葉という友人を得て希望を見出した千茅。いつの日か患者群が社会に受け入れられることを信じ、患者たちのネットワークを作り上げて世界に患者群と社会の融和を訴えた千茅。ワクチンを生産するための過酷な採血にも進んで応じていた千茅。そこまでしても、結局社会は患者群をさらに厳しく隔離することを選び、合宿所は崩壊しました。千茅自身もその際人間としての尊厳を破壊されるような経験をします。千茅はいわば、「上げて堕とされた」わけです。安直な感想ですが、読了後に、「結局千茅は闇堕ちしてしまうのか」と思い暗澹たる気持ちになったことを覚えています。

 

 ところで本作はコロナ禍と関連付けて語られることも多いようです。確かに冥王斑が発症直後に嗅覚障害を伴うことや、首都圏での緊急事態宣言発令など共通する点はありますが、冥王斑とコロナウイルスには根本的な違いがあります。一つ目は致死率。冥王斑の95%という高い致死率はある意味度を越えたもので、コロナウイルスの致死率は到底及びません。それでも十分に社会を壊せるところが、事実は小説より奇なり、と言ったところですが...。二つ目は、冥王斑の回復後も感染力が残るという特異な性質。この点が〈救世群〉のような恒常的患者集団が生まれる原因でもあり、またこれが無いからこそ当たり前のことですがコロナウイルスからの回復者は社会復帰できます。

 それゆえに、本作は「コロナ禍を予言した小説」ではなく「病気が起こす差別が恒常化した世界を描くディストピア小説」として語られるべきでしょう。実際、患者たちは本作で描かれるような差別―例えば感染しただけで汚いもののように扱われたり、身内に感染者が出ると遠回しに付き合いを断られたり―よりもさらに厳しい扱いに、以後500年に渡ってさらされることになります。

 しかし、そんな陰惨なディストピアの中に小川一水は一縷の希望を加えます。それこそが本作における紀ノ川青葉であるのです。感染者を排斥すべき絶対的な他人として見るのではなく、自分も運悪く感染していたらその中に加わっていたかもしれないと考え、感染者と同じ目線に立てる人間。そして感染者と健常者の間の壁に壁を築くのではなく、その壁を越えられる人間。本シリーズのタイトルが示す「天冥の標」とはこのような存在のことなのかもしれません。

 

 

天冥の標 2 救世群 (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標 2 救世群 (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:小川 一水
  • 発売日: 2010/03/05
  • メディア: 文庫
 

 

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