緬羊書評協会

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小川一水『天冥の標Ⅰメニー・メニー・シープ』-ホメロスと刑事ドラマ

あらすじ

 西暦2803年、系外惑星ハーブC上に建設された植民地「メニー・メニー・シープ」では開闢300周年を前に臨時総督の圧政への不満が高まっていた。度重なる配電制限や窒素統制に耐えかね、植民地議会議員エランカや町医者のカドムらはついに反乱を決意する。コイルガンを操る改造人類「海の一統」や、謎めいたアンドロイド集団「恋人たち」と協力しながら臨時総督の打倒を目指すが、彼ら彼女らの反乱は植民地を思いもしない運命へと巻き込んでいく…

 300年の間隠されてきた「メニー・メニー・シープ」の秘密とは、そして植民地に現れる「救世群」と呼ばれる怪物の正体とは。多くの謎を巻き起こしながら、全10巻にわたるシリーズの幕が開ける。

 

解説1:in medias res

 謎にまみれた一作目である。なぜ羊の体内に機械が埋め込まれているのか、なぜ「拡散時代」の戦艦が植民地の地下に埋まっているのか、植民地の果てで奇妙な作業を行う巨大機械たちは何なのか。さらに登場する人物も素性が知れない者が多い。シェパード号の制御人格と噂される「ダダー」とは何者か、「救世群」とは何なのか。読了時には多くの謎と伏線に混乱させられた方も多いだろう。

  そもそも本作で描かれる出来事がシリーズ全体の時間軸の中でどのあたりに位置するかというと、最終盤の1,2年くらいである。時間ベースでみれば9割9分話が終わった時点の出来事を最初に読まされるのだから、初読時にイマイチぴんと来ないのも当然だ。

 

 わざと最初から物語を語り始めないこの手法は、かのホメロスも使った由緒正しいものである。ホメロスの「イーリアス」はトロイア戦争を描いているが、10年以上に渡る戦争があと50日で終わるというタイミングからストーリーが始まる。こうした手法をホラティウスは『詩論』の中で「in medias res(ラテン語で「物事の途中へ」の意)」と表現した。訳の通り、物語を冒頭から順繰りに語るのではなく、途中から語り始めるという手法である。「in medias res」には、まどろっこしい背景説明や導入をすっ飛ばして物語の中核部分を最初に持ってくることで読者をひきつける効果がある、とされる。

 卑近な例でいえば、刑事ドラマをイメージしてもらえばいいと思う。大抵の刑事ドラマは事件発生(大抵は殺人事件だが)のシーンから始まり、事件発生までの経緯は主人公の刑事らが捜査を進めるにつれて後から語られる。何にしても、事件は冒頭に起こる。そこに至るまでどんなに長い過程があったとしても、最初に来るのはドラマの中核である事件発生シーンなのだ。実際の時間軸に忠実に、開始後数十分経ってから事件が起こるような刑事ドラマというのはちょっと考えにくい。

  話を戻すと、本作で描かれる植民地臨時総督への反乱及びその後の混乱という事件が起こるまでにも、人類全体に関わる長い長い経緯がある。敢えてそれらの経緯の説明を後回しにして「メニー・メニー・シープ」を冒頭に持ってくることで、冒頭に示された謎が過去をなぞっていくにつれて明らかにされていく刑事ドラマ的な面白さが生まれていると言えるだろう。

 

解説2:今後の展開

 前述の通り、物語の中核となる「メニー・メニー・シープ」が終わると、第二巻からは「in medias res」の文法通りに「過去編」が始まる。人類が新世界ハーブCに到達するまでの歴史が、文庫本8冊というスケールで説明されるのだ。さすがに飽きが来ると思うかもしれないが、この過去編は実に理路整然とした構造をしているのでその心配はない。

 本作を読了された方は、ラストにこのような一節があったのを覚えておられると思う。

 

かつて六つの勢力があった。

それらは「医師団」「宇宙軍」「恋人」「亡霊」「石工」「議会」からなり、「救世群」に抗した。(中略)時は流れ、植民地が始まった━。

 

 

この一節に従って、

第二巻「救世群」では冥王斑患者群と非感染者との橋渡しをする「連絡医師団」、

第三巻「アウレーリア一統」では遺伝子改造で酸素いらずの体になった「海の一統」、

第四巻「機械仕掛けの子息たち」ではアンドロイドの芸能民である「恋人たち」、

第五巻「羊と猿と百掬の銀河」ではシェパード号の制御人格と言われる謎の存在「亡霊」、

第六巻「宿怨」では共意識を持つ異星人「石工」、

第七巻「新世界ハーブC」ではかつての自治政府の残骸「議会」

 

…というように、各勢力の由来が「メニー・メニー・シープ」以前の人類史と並行して順繰りに語られる。そして第八巻「ジャイアント・アーク」で第一巻では謎めいた存在だったイサリの視点から見た「メニー・メニー・シープ」が描かれてめでたく物語は一周する。

 

最後に

 初読時には何が何だか分からず、特に結末については「どういうことか説明してくれ!」という気分になると思う。だが、それこそ作者が意図した結果であり、混乱しながらも第二巻「救世群」に手を伸ばしたならば、もうあなたは古のホメロスから連綿と続く物語の技術にからめ取られているのだ。シリーズを読み進めるにつれて「メニー・メニー・シープ」での事件に至るまでの因縁が徐々に解き明かされていく刑事ドラマ的快感を是非とも味わってほしい。

  

 

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